Thanks for 10 years!

気づいたら弊ブログ、10周年を迎えていたので、久しぶりにエッセイ(隙あらば自分語り)を。


(写真は「エビでも飼いたいな」と思って水作り4日目、早くバクテリア殖えろーとジリジリ見守ってる小型水槽)

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書くこと、について

10周年とは言え、かっこよく言うとHypergraphia、悪く言うと厨二病を発症・自覚したのは大学生の頃だったので、
「書かずにはいられない!」と、どこかに何かを書き落とす行為は20年近くやっていて、
移設時に毎回データ移行をサボってるだけで、ブログもおそらく5個目?
ex-wifeにも「記録魔!」と呼ばれていた程度には記録が好きで、もう少し厳密には「自己定量化」、英語ではQuantified Selfな癖だとわかって、数値で記録できる場合は「書かない」ことも多かったんだけど、
なんにせよ、こうやってエッセイ的なものを書く時にいつも思い出すのは大学院生の時に非公開で開設していたブログ。
知り合いもいないド田舎で、研究室のゼミがなければ1週間だれとも話さないような生活をしていた2年間、非公開ブログのくせに誰かに向かって語りかける文体でひたすら日記を書いていた。
大学院を経験した人はわかると思うんだけど、院生でメンタルブレイクする人はとても多い、実際に周りにも何人かいた中で、あれは一本の蜘蛛の糸だったんだと思う。
残念ながら、当時のデータは完全に紛失してしまって、黒歴史を掘り返される心配はないものの、時々読み返したくなる、自分史上最も赤裸々な記録だった。

それは今のこのブログでも本質的には変わっていないように思う。

10年を振り返る

個人的には「もう(人生の)後半戦はじまってるよ!」と言われながらも、「いや、まだ前半戦の疲れもあるし、後半の戦い方も決まってないし…」と言ってロッカールームでうだうだしている感じな今日この頃ではあるものの、
日本、または世界で見たときに、この10年は歴史的に見てもすごい10年だった。
推定マグニチュード7.9の関東大震災が教科書に載ってるなら、マグニチュード9.0の東日本大震災も間違いなく教科書に載るし、
井伊直弼や犬養毅への襲撃が教科書に載るなら、安倍晋三の襲撃事件も教科書に載るだろう。
2019年から起きたCOVID-19のパンデミックも絶対に教科書に載るし、テクノロジーの関連だとアラブの春や仮想通貨の流通、そしてAIの進化と普及も載るだろう。
とんでもない時代に生きている。
2025年に「物理学の奇跡の年と言われる1905年ってどんな時代だったんだろな」って調べるように、22世紀の人間が「21世紀初頭、やばすぎだろ」って調べる様子がありありと思い浮かぶ。

ところで、話を急転するけれど、"優秀な人"とは「今、ここにいる意味をわかっている人」だと思っていて、
「サラリーマンなので定時まで椅子に座ってます」って人より、「2025年の日本、製造業の人事部で新人採用をしている自分は何ができるか」みたいなことを考えてる人は本当に素晴らしいし、稀有。
自分がそうだとはとても言えない、けれどそうありたいとは常々思っていて、「ソフトウェア開発企業の代表として、この案件を自分(弊社)が受ける意味ってなんだろう」とかはよく考える。

激動の時代に何かを書き残すと言う行為は、大したことができないなりに「今を生きる自分」として何らか歴史に貢献したいような、そんなモチベーションもある。

AI全盛の時代に

激動の現代において、AI(LLM)の存在も無視できない。
後から読み返すときのために2025年の状況を書いておくと、
OpenAI社がChatGPT 5を発表して、「4より冷たくなった」「媚びてくる」とかよくわからないことが話題になってます(ChatGPTを全然使ってないので詳しくは知らん)。
GoogleはGemini 2.5 Proで100万トークン以上の入力を受け付けるようになり、各社のAI APIは2,000円/月ぐらい払うとほぼ使い放題です。
個人でもちょっと頑張って50万円ぐらいのPCを買うとローカルでLLMが動かせるようになり、画像生成も数分でこれぐらいの絵が手に入れられます。

近所のバーに行ったらマスターが「最近、ChatGPTに自己分析やらせてさー」って話題にするぐらいには普及している中で、先月、先々月とAnthropicとGoogleに$5,000以上課金して一般の人よりはもうちょっとLLMを使い込んでる方の人間としては、
正直、AIに求める賢さはほぼほぼサチっていて、もうちょっと長文が読み込めるようになるとかレスポンスが多少速くなる以上の劇的進化をするには、「身体性を獲得する」とか「時間の概念を持つ」、もっと言えば先の"優秀な人"の定義「今、ここにいる意味をメタ認知する」みたいなAIが出てきたらまた面白くなりそうだなと思うけど、
お遊びとして、10周年を祝う記事をLLMに書かせたりしての感想は、「もう十分」。

こうなってくると、「わざわざ自分の手(と頭)で文章を書く」ってのは完全に趣味や嗜好品になる感じがあって、ゆえに「尊さ」が際立つし、
「大したこと」や「みんなが考えてること」より「どうでも良いこと」「n=1の事象」の価値が再認識されてると思う。

仁を知れ

さて、何も考えずにエッセイを書き始めたから、どこに着地したものか…

最近知った言葉に「仁(にん)」があって、

歌舞伎の仁(ニン)というのは、簡単に言えば、その役柄が持っている雰囲気・「らしさ」ということになると思います。
歌舞伎の仁(ニン)を考える

今でも芸事やお笑いの世界で「ネタは面白いけど仁が出てないね」とか言うそうで、
つまり、「上手くできること」だけでなく「その人らしさ」にも重きをおく、とても良い言葉だと思ったので、
そう、自分も仁を出していきたいな、と。
芸人ではない自分に舞台のような仁を出せる場所っていうのはほとんどないし、
そもそも「自分の仁とは?」からわからないので、
これからは、このブログで「自分の仁」を探求していこうかな、そういった場所があるのはありがたいなと、そんな所信表明で、これまでとこれからを纏めたことにします。
大学院生の時と同じく「俺はここにいるぞー!なんとか頑張ってるぞー!」ってだけな気もします。
それで良い、それが良い、そんな気がします。

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