独り身になった


2023年2月18日、この日のことを生涯忘れない。
他人にとってはお目汚しでしかないが、年内にこの日のことを記録しておきたいと思う。

土曜日だった。息子が「自転車に乗りたい」とのことで、午後から湘南の公園に行くことにした。
年度末が近づいていたこともあって連日深夜帰り、久しぶりの休日に子どもたちと過ごせる時間を心底楽しみにしていた。
同じく、久しぶりに空気を入れてもらえた自転車も載せて、車で1時間ほどの公園に向かった。

ひとしきり遊んだ夕方、とっくに自転車に飽きた息子たちは海辺に向かおうとしていた。
残された自転車や荷物を持って、妻と子どもたちの後を追いかけた。
先行く妻の後ろ姿を見ながら、「ちょっと待ってよ」と声をかけた。
妻は「私は待たれたことがない」とだけ言って、こちらに目もくれずに歩き続けていた。

「待たれたことがない」、立ち止まって考えを巡らせても、どうにも解せない一言だった。
公園に着くなり自転車に乗ってどんどん行こうとする息子に「ママを待ってあげよう」と言っていたのもあるし、
そんな短期的なことだけでなく、海外への家族移住に伴う諸々の準備、その大半の妻側のタスクの完了をひたすら待って2年は経っていた。
この2年は、本当に辛かった。
移住とその準備のために、本業にも少なからず支障をきたしており、その苦労は見せまいと思っていたが、1月の家族旅行の折に泣きながら吐露してしまったばかりだった。

「本気で言ってる?」と思わず聞いた。
妻は「私は待たれたことがない」と繰り返すばかりだった。
さらには「普段、家にいないあなたが何を言うか」と言い出した。
「家にいない」、これもどうにも解せない一言だった。
家にいないのは、当然仕事をしているからであって、生活費を稼いで家を守らなければ、という責任感からだった。
育休からあけ復職した妻は相変わらず一銭も家計を助けてくれないばかりか、奨学金の返済まで押し付けられており、妻の語学学習にかかる費用は150万円を超えていた。

「待たれたことがない」「家にいない」、この2つの言葉を聞いて、自分は今まで何を頑張っていたんだろうと思った。
比喩でなく、本当に血の滲む思いで、体調を崩しながらも、家族のために頑張ってきた。
2年間、いや子どもが生まれてからの6年間、自分で決めて動けることなんてほとんどなかった。
家にいて良いならずっと家で子どもたちと一緒にいたかった。
子どもの成長や妻の育休や移住の準備や…待つことだらけの日々、待ったり待たされたりするのが「家族」だと思って頑張ってきた。

「ただいま、遅くなってごめんね」って何回言ったかな、と数え始めた次の瞬間、自分の中で何かが壊れた。
「わかった、もう待たないことにする」と言って、担いでいた自転車と荷物を投げ捨て、一人で帰途についた。
妻は「ひどすぎる」とかなんとか喚いていたが、もう何も感じなかった。
関係のない子どもたちはかわいそうだと思ったが、3歳と5歳の子どもたちにとって母の方が必要なのは自明だ。
そう、自分はもう必要ないのだと悟った。

思い返せば、そんな諍いは少なくとも5回目だった。
その夜、LINEで「私たちは分かり得ないことが分かり合えた、今までは適当に謝り倒してきた」と言われ、話し合いの余地がないことに合意した。
実際、何を言われようとも何も感じないだろうと容易に想像がついた。

そんな想像がてら、ふと子どもの頃のことを思い出した。
おそらく、小学校の5年生ぐらいだっただろうか、ませ始めた自分が3歳年下の弟の髪の毛にヘアムースをつけていた。
力加減を少し間違え、思いがけず大量に出てしまったムースをタオルで拭きながら「大丈夫、こんなの拭けば良いんだよ」と言った矢先、横で見ていた父親に拳骨で殴られた。
「俺はそんなことのために働いてるんじゃない!」
当時はただただ理不尽な暴力に、何が悪かったのかも分からなかったが、今なら父親の言った意味が理解できる。
自分はただ、家族のために働いていた。
感謝して欲しいとか、誉めて欲しいとか、そんなことは思ってないが、少なくとも理解はされたかった。

その日のうちに家の鍵を交換し、妻が義実家方面の新幹線チケットを買ったのを見計らって、クレジットカードやSIMカードを止めた。
翌日、家に残った荷物の梱包を始めた。
4人家族だったはずなのに自分の荷物として残ったのは1/7もなかった。
俺の家じゃなかったんだな、と改めて思った。

梱包を終えると自分の時間が一気に増えていることに気づいた。
遅くとも6時半までに帰って、夕食を食べてお風呂に入れて寝かしつけをして…という時間が丸々空いたので、スポーツジムに通うことにした。
自炊から洗濯、家事はなんでもできたので、本当に何も困らないことに自分で驚いた。
制約がなくなったので、本業も快復し、気づけばあっという間に9月になっていた。
半年以上も経ちながら、ぶり返す感情は「怒り」だった。悲しみではなかった。
これは精神衛生上とても良くないと思って、離婚届を書いて義実家に送った。
いまだに返信はないが、やれるだけのことをやった達成感で清々した。

今でも子どもたちを愛しているし、彼らの成長を見守れないことは本当に心苦しい。
ただ、離婚に至ったことには全く後悔がない。
結婚してからずっと自分には選択肢がなかった。結婚から離婚までずっと一択問題だった。
後悔しようもない。
これはあくまで自分の目線の記録でしかなく、妻側には妻側の言い分もあろうけど、真実であることに違いはない。

ちょうど40歳になって年齢的にも人生の折り返しを迎え、「第二の人生」始まった感がある。
その昔、職場の同僚(女性)が40歳を迎えた時に「もうGene(遺伝子)は残せないからせめてMeme(文化的自己複製子)は残したいよね」と言っていたことを思い出す。
Geneだけ残してしまった俺は、これからMemeも残さなければ。

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  1. 英語版 より:

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